「みなそこにて」感想

私の尊敬する絵師、というより漫画家さんに、「冬虫カイコ」という方がいる。
Pixivというサイトを何気なく見ていた時にたまたま目について、ちょっと読んでみたら見事にハマった。彼女の作る物語は基本的に女の子が中心で、主人公の反発や違和感、そこからの挫折、社会に溶け込んでいく過程が見事に描き表されている。
今回はその方の最新作である「みなそこにて」について、下手くそながら感想と考察を書こうと思う。
詳しい話が知りたい人は、Twitterで「冬虫カイコ」で検索をかけて最新作を見るか、webアクションで見てみて欲しい。

考察
おそらく、タイトルの「みなそこにて」は、「皆底にて」だったのだろう。

校則でもないのに、服装を揃え、皆「目が同じ」生徒。千年の「わたしは皆知ってるの」という発言。おばあちゃんと面識があること。なかなか皆と同じにならない一花を水の底へ引きずり込んだ千年。その最中の「みんな一緒だよ」という発言。その後の、一花の目が皆と同じになった描写。
もしかしたら、千年、否、人魚は、個性を剥奪し、1人ずつ湖へ引きずり込んで、皆同じように染めていったのかもしれない。
しかし、クラスの子から「人魚はまだ生きている」という発言と、千年が出てきた途端に驚いた顔をして、逃げるようにその場を去ったことから、クラスの子は、一花が同じように染まるのを望んでいなかったようにも思える。
そう言えばおばあちゃんも「湖は危ないから行くな」という忠告をしていた。これも「危ないから行くな」(人魚に染められてしまうから)という意味だったのだろうか。考えすぎか。
でも、なぜ人魚はそのようなことをしたのか。
人間への復讐であったのは間違いない。そして、恐らくその復讐とは、自分のされたことと同じように、「檻に閉じ込め、底に沈める」こと。
少し象徴的な話になるが、一花は同調圧力のある学校という檻に閉じ込められた。そして、そこから脱出したいがために、母親に電話をかけ続けた。が、結局人魚の手によって、同じように染められ、皆のいる水の底へと沈んでしまった。

毎回絵が美しいのはもちろんの事、今回の話は最後に学校の皆と仲良く笑いあっていて、「一花があのまま苦しむよりはこうなった方が幸せだったのかな」と考えると同時に、彼女の中で何かが壊れてしまった、という絶望を感じさせる素晴らしいエンドでした。
あと考察して思ったのは、私は人外のもたらす執念のホラーとして考察したけど、まだまだ解釈の余地があるということ。

ぜひ一度そちらでも考察してみてほしい。











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